Mabinology::log

diary

無慈悲に過ぎた季節から追い立てられる甲斐性も当に忘れ、壁の裏に住み食われるだけの小さな虫を食らう日々に甘んじていることに気がついた。闇の中にあっては自身を写す鏡も土埃と怠惰に曇り、まこと八方塞は是非もない。自分で選んだ道ではなく何も選ばなかった道である。ロクでもないことこの上なく。

壁からもぞもぞ這い出でると、個人的な春のうららかな日差しが瞳孔を刺激してにわかに盲目に陥る。嗚呼にくたらしい、どうか私を照らさないでおくれ。電灯に散る前の羽虫から翼でも借りられれば何とかなるとは思っていたがピーンクスパァイダー。やがて身の丈を知り、とぼとぼ8本足で歩き出す。

ブログはじめます さがさないでください    くも

ザナルカンドを目指して国道1号をとぼとぼ歩く道のりからふと逸れ、鵜沼海岸の防波堤からネットの海を臨むと、ルールルラララー、理想と現実・個人と社会・以下そのへんの若年性単語・の熾烈な戦いに敗れた者たちの魂ゆらり。既成の物語や文脈によって後押しされて行われる対立項の引き算は、鉄壁の筈だったプライド要塞を容易く脅かし、わかってはいても残酷。

世界の広さに育まれた想像力と警戒心は、やはり次々と強大な仮想敵を求めていったようだ。かつて荒野に飛び出して、果たして白日の下にさらされた彼らが目にしたものは蜃気楼であった。ああ誰も知らない恐怖の大王に渾然と立ち向かったドンキホーテたちよ。あなたは何を恐れているの。くもの知るところではありません。

旅路に戻り、その先を見やるも、しかしそこに映っているものも蜃気楼であろうか。くもの尺度では己が見えぬ、世間が見えぬ。少なくとも海を抜け出せていたらよいのだが。

言語はその設計上から、出力側が伝えたい物事の多くを四捨五入し、入力側の人生経験によって任意に再構築される。ある者のAは別のある者のαである。ひどいとβである。再構築手順の共通化は時間をかけてコミュニケーションを通じて行うしかない。まなざしが欠如し一言一言が極端な意味を持ってしまう文字会話に至ってはこの欠陥は致命的なものになり、意思疎通の困難さが露呈しやしないか。バベルの塔は砕かれたのだ。

言葉をもたぬくもにはそのような諦観は無縁であり気楽でよい。糸を吐き任意に巻かれておればよいものを、意図を以ってする人間様は不便である。行間やら空気やらなどと呼ばれる仮想のものを読み、能動的に仲良しごっこに興じられるという、俗に言う高度な精神性の維持コストたるや、無職のくもには支払いきれぬ高値の花よ。なぜか変換できる。なんか色々違う。

今日も今日とてダンバ広場で飽きた・暇だ・やること無いなどと喧伝する引退者予備軍というものは、結局引退したくないがためにその理由探しを続ける永遠のモラトリアム人間あるいは自殺未遂志願者。君たちは似ているね。でも周囲の人間はその本心にあまり興味無く、ひとり口に出さず深く考えた彼らこそ本当の引退者となる。そうして駄々を聞いてもらう知人を失ったコミュニティ崩壊因子は再びファンタジーライフへ沈まん。嗚呼夢の跡。

そういえば6月6日でサーバの契約が切れますので早急におかねをいれてこないとサイトが消えます。めんどくさいなー! ホームページおしまいかなー!

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